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みんなでモノを作る空間を作りたいと言い始めて、4ヶ月。

 

ついに放課後図工室という名の、ものづくりの場所をはじめます。

 


小さいころ、文集に書いた夢は、イラストレーターでした。

 

でも、もうひとつ、口に出すと涙が出てしまうくらい熱い夢がありました。

 

それは、よしの先生みたいなおえかき教室の先生になること。

 


 

小学校3年の時から、自宅のちょうど裏手にあるオンボロな家の

 

おえかき教室「アトリエタンポポ」に通い始めました。

 

先生はお母さんのお母さんくらいの年齢の、工芸家のよしの先生。

 

本当にオンボロな家で。この家が使えなくなったらここはおしまい、と

 

通い始めた当初から言われ続けていたくらい古い家。

 

古いけれど清潔で、油絵具の匂いが充満した、隠れ家のような場所でした。

 

秘密基地みたいなその場所は、長年わたしの家の裏側で

 

ひっそりとずっと開店していたそうなのですが、私の家族はだれも知らず。

 

たどり着いたときは、まるで秘密の合言葉を得たような気持ちでした。

 

毎週土曜日にその場所へ行くことが、どきどきのはじまり。

 

秘密の花園があるのならば、ここのことではないか?と思っていたほどです。

 

 

そんな素敵な場所に、小学校3年から中学1年まで通いました。

 

4年生からは油絵も教えてもらうようになり、油絵具が乾くあいだに

 

他の絵を描き上げる、なんてなまいきなことをしたり、

 

朱色と紺の2色の相対的なビビッドな絵を描き上げて、

 

母親に、この子の精神状態は異常なのかしら?と思わしめたり、

 

自由気侭な時間を好きなだけ味わわせてもらいました。

 


そこにいるとき、さわちゃんの将来の夢は何?と教室友だちに聞かれて

 

「こうやって、おえかき教室の先生になること!」

 

と普通に答えたつもりでいたのですが、

 

なんだか人間本気だと身体の中から抑えきれない何かが出てくるようで、

 

涙を流しながら答えた、というその日の記憶を、いまでも忘れられずにいます。

 

 

残念ながら、中学1年の時に、オンボロな家は台風にやられて、

 

本当に使い物にならなくなり、閉鎖することに。

 

でも先生が大好きで、先生の作る空間が大好きで、

 

あきらめきれなかったわたしは3駅先の先生の自宅教室に通うことになりました。

 

中学高校とバスケットボール部にいた私は、

 

毎週欠かさず通うことはできませんでしたが、

 

行けた日は、先生の都合も考えずに長居して、

 

いろんな話を聞いてもらい、いろんな話を教えてもらいました。

 

先生の旦那様にも良くして頂き、教室がおやすみのときも遊びに行ったり、

 

先生の秘蔵の技を「あなただけに伝授するんだからね」と

 

教えてもらったり、特別な時間をよしの先生と過ごさせていただきました。

 

 

私が美術系の大学を決めたときは、

 

よしの先生は諸手をあげて喜んでくれ、ごちそうでお祝いまでしていただきました。

 

大学の間も先生のところに通いたかったけれど、

 

よしの先生はご家庭の事情でアトリエタンポポを終わりにして引越されました。

 

大学生の間、一度だけ新居に伺いましたが、

 

やはり遠くて、それからは連絡が途絶えてしまいました。

 

 

 

いま、自分が「放課後図工室」をつくって、

 

真っ先に伝えたいのは、よしの先生です。

 

先生がわたしに感じさせてくれたあの気持を、ひとりでも多くの子に

 

感じてもらえたら、少しは恩返しができるのではないかと思っています。

 

 

 

手紙を送っても返事が来なくなった先生へ。

 

あなたのすばらしい教えは、私たちよりもっと下の世代へも

 

伝えていくことができそうですよ、と伝えたいです。

 

 


この「放課後図工室」は、こんな自分の小さな時の貴重な、ささやかな経験から

 

はじめるきっかけを得ています。

 

どうか、自分がよしの先生と同じように、つくることで得る空間が

 

とても心地良いものだということを、多くの人に広められますように。

 

そんな願いを込めて、放課後図工室をはじめたいと思います。

 

 

 

 

2011年6月11日  新名佐和子(ブログ1回めの記事より転載、2011/7/4加筆)